山本義昌
中国経済ニュース



中国ビジネス事情

300年の歴史と決別 老舗の現代化をレポート

 「前店後坊」(前は店の売り場、後ろは作業場)に別れを告げ、「横町工場」を撤去し、現代的な大規模工場を建設する-
 蘇州の多くの老舗が、この2年の間、大々的に変革を進めている。
 泥のかまどに乗せた鉄鍋で肉を煮て、出来上がった商品を前の店の中で売る。観前街の東端で342年もの歴史を誇った老舗「陸稿荐」の伝統的なスタイルにも、ついに終止符が打たれた。4000平方メートルの現代的工場が、昔ながらの作業場に取って代わったのだ。

 蘇州老字号協会の儲敏慧会長によると、蘇州の多くの老舗は2003年9月から改革を進めており、この2年間で「采芝斎」「黄天源」「陸稿荐」「幹生源」「稲香村」等の多くの老舗が不断に規模を拡大。しかも、蘇州工業園区、相城区、高新区で相次いで土地を購入して新たに工場を建て、なじみの作業場と決別している。儲会長は「蘇州の老舗は今年から、「前店後坊」から「横町工場」、さらには現代的工場へと三段跳びを実現しています」と話す。

 この飛躍的な改革は、効果も著しい。関係者によると、「陸稿荐」の作業場ではこれまで、一日500キロ余りの味付け肉を生産していたが、新工場では一日1万キロ余りを生産、つまり生産量は約20倍に増えた。また、「采芝斎」が現在擁している3つの「横町工場」の総面積は5000・だが、工業園区の新工場の面積は3倍の1万6000平方メートルに上る予定。「采芝斎」は今年、3800万元の売上げを見込んでいるが、来年、新工場が完成すれば売上げは1億元に達する見通しだ。これまで、新年や節句の時に生じていた生産が販売に追いつかない問題は、新工場の建設に伴い解消するだろう。

 作業場の撤去、工場の建設に次いで、「陸稿荐」「采芝斎」「黄天源」は支店の開設を加速している。「陸稿荐」は既に太倉、呉江、昆山等で場所の選定を開始。「黄天源」も現在、20軒余りの支店を拠点に、無錫、杭州、嘉興等の地域に進出中だ。

 儲会長によると、中国国内には現在、1600軒以上の老舗があるが、そのうち70%が経営不振に陥っている。これに対し、7割以上の蘇州の老舗が大変な活気を示しているが、これらは大抵、小規模で競争力が弱く、生き残りをかけたプレッシャーが老舗を試練に追い込んでいる。

 蘇州の老舗の改革には、今後も長い模索が必要である。数百年の伝統を持つ「前店後坊」との決別は、あくまで「包囲網突破」への第一歩に過ぎないといえるだろう。
(2005年10月26日姑蘇晩報)

山塘街と各地からやってきた商人

 蘇州駅からそれほど遠くないところに、「山塘街」というところがあります。長い間、歴史から置き去りにされていたかのように、荒廃していましたが、2002年に修復工事が始まり、まだ修復の途中ではありますが、すでに一部が往時の姿を取り戻し、運河をはさんで、昔の石造りの建物がレストランや茶館に衣替えして、蘇州の観光名所のひとつになっています。

 ここは唐の時代に、みなさんも漢詩でおなじみだと思いますが、白居易が、地方官吏として赴任し、建設着工し、作られた街で、1200年の歴史をもっています。ここは明清の時代に、蘇州もっとも商業の栄えたところです。

 当時、蘇州は、東南沿海地域の政治、経済、文化の中心となっており、中国各地から商人が集まって来ていました。各地から集まってきた商人たちは、それぞれ自分たちの出身地の「会館」を造りました。一番早い時期に蘇州にやってきたのは、福建の商人たちです。福建出身の商人たちは8ヶ所もの会館を作り、一大勢力をもっていました。次にやってきたのは、広東の商人たちで、5ヶ所の会館を山塘街に有していました。

 その後、山西、安徽、淅江、山東の商人たちがやってきました。これらの商人たちは、自然と分業体制を形成していきました。山西商人たちは、今で言うところの銀行である「銭庄」を開いて繁盛しました。山西地方は、その昔、金融がさかんでしたが、山西商人はその才覚を発揮し、山西商人を中心に銀銭市場が形成され、清の乾隆三十三年には、蘇州に山西商人の銭庄が81ヶ所もあったそうです。

 安徽の商人たちは、綿織物や茶、醤油などの取引で業をなしました。汪文_という商人は、山塘街に「益美」という屋号の店を出し、年間百万反の綿織物が取引されていたそうです。そのブランドは200年を経て、今も知られています。安徽は茶の名産地でしたが、清の中期に、安徽商人が、今の虎丘あたりで栽培されていたジャスミン茶などに、安徽地方の製茶方法を持ち込み、さらには福建地方からジャスミンなどの香りを茶に移す方法を取り入れて、今の蘇州の「花茶」が形成されました。

 当時、山塘街には安徽人の開く茶館が数十店もあり、茶所となっていました。今では茶館はもちろん、カフェやバー、ベトナム料理と、さまざまなお店が並び、さらにグローバルな広がりをみせています。


 紅葉の季節になると、蘇州の庭園や名所旧跡は、観光客でにぎわいます。なかでも天平山は、紅葉の名所として知られています。蘇州の市街地から30~40分ほど車を走らせた郊外にあります。のどかな田園の中に広い工場が見え、天平山のふもとのところどころには、シャレた別荘があちこちにかたまりになって建っています。

 天平山公園の門をくぐると、そこは森の中。緑の木々の葉の中に、朱、紅、橘色、黄色、黄金などさまざまな色の紅葉が、まるで絵の具板の上にちりばめた絵の具のように視界に飛び込んできます。
天平山は小高い山です。紅葉を楽しみながらゆっくり岩の道を登って頂上につくと、隣に「霊岩山」がみえます。

 霊岩山は、紀元前5世紀・呉の時代に、呉王であった夫差が寵愛する西施のために建てた離宮があったところです。目を足元に落とすと、眼下には先ほど上ってきた山道を覆う、色とりどりの紅葉の絨毯(じゅうたん)が広がっています。天平山を下ってふもとの森の中を散策していますと、「範中淹」の像があります。範中淹は、蘇州出身の宋代の政治家であり、また文学者でもあり、教育にも力を入れました。

 彼の名言である「先天下之憂而憂、後天下之楽而楽(天下の憂いに先立ちて憂え、天下の楽しみに後れて楽しむ)」と書いた門牌が、木立の中にどっしりと建っています。

 さらに少し歩きますと、大きな池があり、目の前に、先ほど登ってきた天平山と、それを取り巻く紅葉が水面にゆらゆら揺れていて、もう一度、下から天平山の景色を味わうことができます。

 晩秋から初冬へ。短いけれども、とても美しいこの季節に、天平山は一度は行ってみる価値があります。


 昨日午後、市民と多数のメディアの注目を浴びている蘇州の竹輝路に位置している二軒の別荘は常熟でそれぞれに1950万元と2100万元競売価格で成功的に叩き売りされた。事後、競売者が極めて低調で詳細な事情を余り言わずにあたふたと豪華なBMW車に乗り、立ち去った。

 昨日公然と競売したこの二軒の古代建築にまねて作った建物はそれぞれの表記住所は蘇州竹輝路の568-570号と556-558号になっている。その中の568-570号の別荘の建築面積は783.1・あり、敷地面積は1399.4・ある、片方の別荘はやや狭くて建築面積は769.8・あり、敷地面積は1279.3・ある。二軒の別荘とも事務と居住を両用できる。

 昨日午後1時40分頃、記者が常熟の梅園ホテルの競売会場に着いた時、2時の正式競売まで少し時間があるけど、会場に既に大勢の人が集まっている、その中に001号と002号の競売プレートを手にする数人が競売現場の真っ先の前列に座っている。競売主催者_天益拍買公司の関係責任者の紹介では競売の締め切り日までこの二人の競売者が関係有効証明書類を持って蘇州市中級人民裁判所で登録手続きをしたし、それに500万元の保証金も納付した。競売者以外に蘇州市中級人民裁判所の人も現場に来ていると記者が見つけた。

 午後2時、競売人が競売開始を宣言して競売の関係事項を読み上げた後に皆の前で封筒を開けた、人々に注目されているこの二軒の別荘のダウンプライスが入っている。競売人が568-570号の別荘のダウンプライス2100万元を告げたら、001号プレートを手にした白い羽毛服を着ている。ー李。アという女性が直に猶予なくプレートを挙げ、応答した。競売人が連続三回競売価格を告げた後に、002号のプレートを持している人は上乗せしなかったので、該当別荘は2100万元の値段で取引成立したと競売人が宣言した。その後、556-558号の別荘の1950万元のダウンプライスを告げた後に、002号の。ー包。アという男性が既に決まったように直ちにプレートを挙げ、応答した、最終的にこの人は1950万元の値段でこの別荘を取得した。

 競売終了後、記者が直ぐ二人の競売者を取材しようとしたが、彼らは極めて低調的でスピーディーに荷物を整理して、口が重くて、あたふたと降りて去った。記者が追いかけて見たところでは、001号の女性及び随行員がAUDIA6車とSATANA車に乗った、それに対して、002号の男性及び随行員が豪華なBMW車とBUCK車に乗った。車が去った時、これらの車のナンバープレートの最初番号が蘇A(南京)と記者が気づいた。
(姑蘇晩報2005年12月23日)

・「2005年12月1~3日に蘇州人民大会堂で中国IT産業発展戦略ディスカションを行います
http://www.aitexpo.com/
・蘇州国際観光祭
http://www.sipac.gov.cn/japanese/J-yqdt/t20060217_13600.htm
・蘇州太湖梅祭り
http://www.suzhou.gov.cn/newssz/sz/2006/2/15/sz-13-51-33-3321.shtml